勝新太郎…松平健の恩人が下積時代に語った教えとは?逸話が胸に刺さる…

      2021/01/17

松平健さんが13日のテレ朝の「あいつ今何してる?」に出演予定ですね…。

 

予告の番組ツイッターでは、「下積み時代にお世話になった恩人が松平健さんの若い頃のエピソードを語る…」といった感じの紹介などがありましたよ…。

 

松平健さんといえば…暴れん坊将軍が印象的でしたし、あの…今もなお、お綺麗でCMなどメディアでよく目にすることが多い太地真央さんと結婚されていた時期もありました…。

 

それから…なんといってもマツケンサンバで一世を風靡しましたからねぇ…

 

昨年からブーム再燃の兆しもありますよね。年末番組の「ガキ使…」などではかなり話題になっていましたから…いい感じに盛り上がってくれればいいななんて、人知れず私Take Gee-san相当期待しておりますデス…ww

 

そんな松平健さんですが「下積み時代にお世話になった恩人が松平健さんの若い頃のエピソードを語る…」のはいったい誰なんでしょう?

 

非常に気になるところなんですが…私Take Gee-sanとしては…恩人とくればもうお一人しかいないのではないかと思っているんです。もうすでにお亡くなりになられましたけれども…勝新太郎さんではないかと…。勝新太郎さんと松平健さんの師弟関係は結構有名でしたからね。

 

番組では何方が出演されるか存じ上げませんが…中村玉緒さんかもしれませんが…ww

 

今回は、勝新太郎…松平健の恩人が下積時代に語った教えとは?逸話が胸に刺さる…と題してまとめましたのでご覧いただければ幸いです。

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【恩人】故・勝新太郎が松平健の下積み時代に語った教えとは?

松平健さんにとって恩人・師匠でもある勝新太郎さんは、またデビューして2年の俳優だった松平健さんを自らの弟子としました…。

 

健さんとしては「オレのマネをしろ。タイプが違うから、マネをしても大丈夫だ」とそう言われ続け、約3年もの付き人としての生活を送っていたといいます。

 

勝さんは、自身が製作・主演したテレビドラマ「座頭市物語」に出演させて徹底的に鍛え上げ、ついに1978年「暴れん坊将軍」(テレビ朝日系)に主演させて時代劇スターに育て上げました。

 

勝新太郎さんは、松平健さんのどこに惚れ込んだのでしょうか?

 

以下のような興味深い逸話があります…

 

バイトしながら芝居のレッスンを受けていた松平健さんは、21歳の時、勝新太郎さんから突然「京都に来い」と呼び出しを受けカメラテストをしたといいます。

 

そして勝新太郎さんに「お前の目が気に入った。目は化粧できねぇからな」と言われたんだそうです。

 

間違いなく、勝新太郎さんは松平健さんのあの鋭い「目力(めじから)」…にほれ込んだのでしょうね!

 

松平健さんの若い頃は半端なくイケメンですよね!皆さんもご存じのように下にある画像のような感じですから…勝さんもこいつは売れる!と目力を見ただけで思い込んだのでしょう…

 

ただまあ…勝新太郎さんが凄いところは、これをあっさり実行に移してしまう超人的な勘の鋭さと凄まじい実行力なんだとおもいます!…これはさすがに感服する次第ですね!

 

勝新太郎さんは…豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事を起こしながらも多くのファンから愛され、つい6年前の2014年に映画関係者や文化人を対象にしたキネマ旬報のアンケートで好きな日本映画男優の第4位に選ばれています…。なんといいますか昭和の大スターでもあり、人間臭くて愛嬌のあるすごい人だったんですよ

 

松平健さんは、そんな大恩人が語ったある教えが胸に刺さっているといいます…いったいどんな言葉だったのでしょうか?

勝新太郎…松平健の恩人が下積時代に語った教えとは?逸話が胸に刺さる…

松平健の若い頃

 

逸話が胸に刺さる…①「俺が矢を打つから後は自分の努力で飛んでいけ。努力しなかったら落ちるよ」

座頭市のドラマに出演させる際に、健さんとしては思い出深いエピソードがあったといいます。

 

「ドラマ『座頭市』の制作発表で突然、勝が『松平!お前はオレだけ見ていればいいんだ!』とどなりつけた。

 

実はあれは意図的に記者に松平の名を売り込むためにやった演出。実際、あの時、初めて松平健の名前を知った記者も多かったんです」(芸能記者)

 

そういった芸能記者をも巻き込む大演出のおかげで…松平健さんは、1976年に昼ドラ「人間の條件」で主人公を演ずることになりましたし、その時の勝さんの言葉が「主役でない仕事には出るな」というものだったといわれています。

 

その直後、松平さんは「暴れん坊将軍」の主役に抜擢されるんですよ…。

 

健さんにとってみれば、間違いなく経験の少ない若手役者が数年で主役の座を勝ち取ることができたわけですから…

 

「俺が矢を打つから後は自分の努力で飛んでいけ。努力しなかったら落ちるよ…」

 

異例の主役抜擢はまぎれもなく、恩人の勝新太郎さんが力強い矢を放った…放ってくれたわけです!

 

一方で、数年で終わるのでは…?といわれた「暴れん坊将軍」が、これほど世間に長く愛されたのは、勝さんの教えを貫いてきた、松平さんの親しみやすい人間力と目力に代表される彼の並外れたルックス…イケメン力が世間の支持を受けたということに他ならないですよね…!

 

勝さんが放ってくれた矢…この矢が落ちないように努力してきた松平健さんの力量と相まった師弟合作の努力の結果だったんですね!…すごいエピソードではありませんか!

 

松平さんにとっては一生忘れることのできない胸に刺さった恩人の言葉であったに違いありません。

 

「俺が矢を打つから後は自分の努力で飛んでいけ。努力しなかったら落ちるよ…」

 

愛情にあふれた深いお言葉だと思います…。

 

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逸話が胸に刺さる…②「安い居酒屋に10回行くなら、その金を貯めて銀座のクラブに1回行け…」

「暴れん坊将軍」のヒット後、松平健さんが役者仲間と居酒屋で飲んでいると聞いた勝新太郎さんは、健さんをこのように叱責したといいます…。

 

「安い居酒屋に10回行くなら、その金を貯めて銀座のクラブに1回行け…。

そして、銀座の高級クラブにいる人間をじっくり観察しろ。映像にはその人のプライベートが出る。安い酒場にいるやつは、その色がすぐに出てくる」

健さんはその教えを守って、松平は20~30代は高級クラブで遊びまくったし、借金も作ったし、教えどおりに勝新太郎の生き様もマネたんだそうです…ww

 

なかなか凡人が真似のできることではないですが…ww

 

これっておそらく…一流を知れ!ということなんでしょうね!何をするにしても一流の世界、そしてそこにいる世界の人を知ることがとても大事で、そこに行かなければ見えない景色というものがあるということなのだと思います。

 

借金を作ったとしても、その高みにたどり着いて新たな価値観を得るということは素晴らしいことだと思います…いわゆる自己投資ということになるんだと思います。

 

が、これを続けていくためには常にポテンシャルを上げ続けていかないと人は認めてくれないし、それを長く維持することはできないわけですよね。

 

松平さんは、暴れん坊将軍以降に脇役ももちろん演じて来られましたし、「王様と私」で舞台を経験し、ミュージカルも本場にわたって勉強し本物を極めることを常に実践してこられています。

 

そうした幅広い世界の一流を見続けていくことで、世間の人に飽きられない、信頼される幅のある役者としての実力、人間力というものを育んでこられたことが、マツケンサンバに通ずる「マツケンショー」の世界を作り上げてこられた原動力になっているように思われます。

 

恩人・師匠勝新太郎さんのお言葉…は非常に深いものが感じられますし、松平健さんが長く万人に愛されている原点をうかがえるような含蓄のある深い言葉、エピソードではないかと私Take Gee-sanも感動しております。

【恩人】勝新太郎が松平健の下積時代に語った教えとは?逸話が胸に刺さる…

勝新太郎、中村玉緒、松平健の共演

 

故・勝新太郎さんを偲ぶとともに松平健さんの益々のご隆盛を心より祈念申し上げたいと存じます。

 

今回は、勝新太郎が松平健の恩人が下積時代に語った教えとは?逸話が胸に刺さる…と題してご覧いただきましたが如何でしたでしょうか?最後までご覧いただきありがとうございました。それではまた。

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 - エンターテーメント, テレビ・ドラマ